中西繁樹について

窓で、暮らしは変わる。

内窓プラストの匠
中西繁樹

「プラストを25年扱ってきて、ようやく、
内窓というものの本当の姿が見えてきたように思います。」

―― 旭建硝 中西繁樹

このページは、私、中西繁樹の言葉で書かせていただきました。父から受け継いだガラス屋、1999年の網走、築50年のお客様、そして恩師たち ― 私の25年の歩みを、少しだけ、聞いてください。

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施工中の中西繁樹

「22歳から父と、窓の仕事を始めました。」

原点

窓屋の息子として生まれ、22歳から父と仕事を始めました。それから長年、窓のある暮らしだけを、見てきました。

私の父が練馬の地でガラス屋を開業したのは、昭和42年(1967年)。

子どもの頃から、父の手元を見てきました。ガラスを持つ手、切る音、運ぶ姿勢。そんな父を見ているのが好きでした。

22歳で父と一緒に仕事を始めてから、ずっと、私が見てきたのは、窓のある暮らしだけです。だから、窓について話すときだけは、誰にも負けない自信があります。

父から受け継いだもの

父から受け継いだもの。

父からは、ガラスの扱い方だけでなく、「約束を守る」という誠実さを受け継ぎました。

事業を継いだとき、私はBtoBからBtoCへ舵を切りました。取引先を相手にする仕事から、直接お客様と向き合う仕事へ。

お客様の顔が見える仕事がしたい ― その気持ちは、父の誠実さがあったからこそ芽生えたものです。

取引先であれば、契約と納期だけで話が済みます。でも、お客様の家に伺うときは、そのご家族の人生にお邪魔することになる。父のやり方を真似するだけでは、通用しません。

「約束を守る」― 父から受け継いだ、たった一つの言葉。けれどこの一つが、お客様と私の25年を、ずっと結び続けてくれました。

私は今、父とは違う仕事をしています。BtoC、ホームページ、補助金、データ、大学との連携 ― 父の時代にはなかったものばかりです。でも、根っこは父と同じ。「約束を守る」― ただ、それだけです。

1999年・北海道・網走

1999年、北海道・網走で、
私は内窓プラストに出会いました。

冬の北海道・網走

真冬の北海道・網走で、1軒の家を訪れたときのことです。外気温はマイナス20度を超えていました。

驚いたことに、その家は薪ストーブ一台だけで暖房していて、ご家族は半袖で過ごしていました。

外気との温度差は、実に45度。わずかな隙間があれば、あっという間に冷気が入るはずでした。しかし、その家では、冷気を全く感じなかったのです。

その秘密が、「内窓プラスト」でした。

「この感動を、寒さや騒音で困っている人々に届けたい」― この一日から、内窓プラストの匠としての25年が始まりました。

東京に戻ってすぐ、私は大信工業社を訪ねました。内窓プラストはガラスが別売。お客様一軒一軒の悩みに合わせて、最適なガラスを選べる ― これだ、と直感しました。

設計士とメーカーが設計図だけで材料を決めるのが当たり前だった当時、個々のお客様の状況に合わせて材料を選ぶという発想は、斬新でした。でも、それが、私が目指す仕事の形だったのです。

→ 内窓プラストとの物語の全編を読む

忘れられない一軒

「俺はこの家と一緒に終えるんだ、人生を。」

築50年、室内に霜が降りる家がありました。

複数の業者に「建て替えた方がいい」と言われ続けてこられたお客様でした。そのお客様と、私はお会いしました。

「俺はこの家と一緒に終えるんだ、人生を。そのための準備を今するんだ。」

私は、建て替えろとは言えませんでした。このお客様にとって、家は人生そのものだったのです。

最適な内窓プラストとガラスを選定して、施工しました。― 霜は消えました。室温は18〜20℃を維持。しばらくして、「医者に行かなくなった」という言葉が、お客様から届きました。

築50年の戸建て外観

「家というのは、思いの塊だということを、このお客様に教えてもらいました。」

―― 旭建硝 中西繁樹

この施工は、後に東京都の省エネ優良事例として認定されました。その後、板硝子協会、埼玉県、内閣府、さらには海外のTV番組でも取り上げていただきました。でも私にとって一番大切なのは、お客様が「医者に行かなくなった」とおっしゃったこと、ただそれだけです。

3人の恩師

私が、学び続けた25年。

内窓プラストと出会ってから、私はひたすら、学び続けてきました。お客様の悩みを解決するために、窓だけではなく、音響、熱工学、そして人の体と心まで。3人の恩師との出会いが、私の仕事を形づくってくれました。

恩師 1

東京大学名誉教授 坂本雄三先生

「熱中症やヒートショックは、窓の専門家である君の責任である。窓屋に産まれた君が一番『快適』を理解しなければいけない。」

―― 東京大学名誉教授 坂本雄三先生

日本の省エネルギー基準策定の第一人者、坂本先生からいただいたこの言葉が、私の使命感の原点です。「窓の専門家は、人の健康と命を守る責任がある」― 私に、その視点をくださったのです。この言葉は、私が25年間、ブレずにいられた理由です。

恩師 2

千葉工業大学 小峯先生・伊藤先生

快適な温度環境については、千葉工業大学 小峯先生・伊藤先生に学びました。お二人と共に、太陽の年間軌道とお部屋の断熱性能を計算する独自の予測プログラムを開発しました。お客様が「施工後、どう変わるか」を、施工前にお見せできるようになりました。

「やってみないと分からない」ではなく、「確実な効果」をお約束できる ― これは、小峯先生と伊藤先生の理論が、私の現場経験と結びついた成果です。

恩師 3

斉木先生

音響の原理については、音大教授に学びました。「数字としての防音性能」と「耳が感じる静けさ」は、違うものです。ある方には気にならない音も、別の方には耐えられない。どの周波数帯がその方の苦手なのか、そしてそれを設計でどう対応できるのか ― 音楽理論と音響工学を、教えていただきました。

「残った音を、耳に馴染ませる」という発想は、音大教授の存在なしには、生まれませんでした。

誠実さについて

できないときは、できないと、はっきり言います。

「かつて自信のない案件を、感情で引き受けてしまい、大きな反省をしました。」

以前、私は、ご相談にお見えになった方のお気持ちに押されて、「何とかします」と引き受けてしまったことがありました。

結果、期待された効果を十分に出すことができず、お客様にも、私自身にも、深い後悔が残りました。それ以来、私は決めています。

「できると思ったときだけ、お受けする。」

できないときは、できないと、はっきりお伝えします。別の専門家をご紹介する場合もあります。補助金が使える案件だから、予算が大きい案件だから、ではなく ― 「あなたのお悩みを、私が解決できると、確信できるかどうか」― それだけを基準にしています。

現地調査中の中西繁樹

お客様から教わったこと

工事を終えたお客様ご夫婦と愛犬

工事を終えた瞬間、皆さん素敵な笑顔を見せてくれます

30年間マイナスの気持ちで暮らすのと、
お金を使って気持ちよく暮らすのでは、
人生が全然違う。

これは、あるお客様がおっしゃった言葉です。

寒さや騒音で悩みながら、「まあ、このままでいいか」と30年過ごすのと、ちょっと勇気を出してリフォームして、30年を気持ちよく暮らすのでは ― そのお客様は、「全然違うよ」と、私に教えてくれました。

そうお客様が教えてくれた日から、中西の仕事の意味が、変わりました。

私は、窓を売っているのではありません。お客様の30年の暮らしを、お預かりしています。

目先の1年を快適にするためにリフォームするのではなく、30年先まで気持ちよく暮らせる家を、ご一緒に作らせていただきます。

そのためには、設計が必要です。実測のデータが必要です。恩師から学んだ理論が必要です。そして何より、「できないときは、できないと言う」誠実さが、必要です。

25年かけて積み上げてきたすべてを、目の前のあなたのために、お使いいただきたい。それが、私の願いです。

お客様と話す中西繁樹

結び

内窓プラストと共に、
あなたの暮らしを、30年守り続けます。

プラストを25年扱ってきて、見えてきたものがあります。それは、窓で、暮らしは変わる、ということ。

寒さで体調を崩していた方が、「医者に行かなくなった」と言ってくださる。騒音で眠れなかった方が、「15年ぶりに朝を迎えた」と言ってくださる。演奏を諦めかけていた方が、「また弾けるようになりました」と言ってくださる。

そういうお客様の言葉を、25年間、積み上げてきました。あなたのお悩みも、きっと、そうなります。

「お客様から『また来てください』と言っていただける仕事がしたい。」

―― 旭建硝 中西繁樹

どんなご相談でも、大歓迎です。

電話・メールでの相談は無料です

営業時間:8:00〜20:00 年中無休 現地調査は交通費が掛かります

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